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更新日 2021-10-07 | 作成日 2016-04-03

学校で演劇を上演することの意味

自前の思想を育てるために

演劇は子どもにとって役に立つものなのでしょうか。「そんなものは役に立たない。」 「役に立つかもしれないが、それよりは学力をあげる方が緊急だ。」 「大体週休二日で授業時開か足りないんだ、芝居なんてとんでもない。」 そういう声に対して、「演劇は子どもたちの成長になくてはならないものなんだ」というためには、子どもたちが置かれた環境が歴史的にどのようなものであったか、そこから話を起こさなければなりません。 

もともと小学校教育を「読み書きそろばん」と言い習わしていたように、「話す(人と関係を持つ)」ことはどうでもよかったのです。学力の正体はもっぱら記憶力で、数値化できるものばかりが勉強の中身でした。効率よく序列をつけるためだけの勉強でした。それを教壇から一方通行で流し込んで、どれだけ記憶できたかをはかって成績をつけるのです。はかっているのは記憶力だけで、思考力・持続力・集中力などはこのやりかたでは計りようがありません。まして、弱いものを助けることができるかとか、美しいものに感動できるかとか、不正義を怒ることができるかとか、人の身になれるかどうかなど、世の中へ出てから一番必要な力は、誰も計っていません。そしてそういうものを養うことができるのが芸術、なかんずく演劇なのです。

演劇は関係の芸術です。人開がどのような人間関係の中でどのように変化するかを、舞台上に見続ける中で、舞台に自分や自分を囲む人間関係を投影させて見ることになります。ぼくみたいだ。ぼくだったらああはしない。よせ、やめろ。よくやるなあ。等々、さまざまな内なる言葉とともに、子どもの中に思いが生まれます。それがテーマです。

テーマはあらかじめ言葉でいいあらわせるようなものではありません。よく学校の先生や子ども劇場の役員はテーマを説明しろといいますが、そしてまた芝居が始まる前に子どもたちにテーマを語って得々としていますが、おろかの極みです。悲惨な戦争の恐ろしさを見るから、「戦争なんていやだ」と思うのであって、それを見る前に「このお芝居は平和の大切さを描いたお芝居です。皆さんよく見ましょう」といったら、子どもは演劇が嫌いになりますし、戦争とか平和について考えることにもアレルギーを持つようになります。にもかかわらず、「戦争はいやだ」「平和が大切だ」という台詞が書かれてないからこの作品はダメだなどと、こういう人たちはのたまうのです。僕も散々いわれてきました。与えられた言葉ではなく、自前の思いが湧き出る、それだから強いのです。与えられた言葉は所詮借りものであって、自前の思いだけがその人間の思想の核になりうるのです。演劇には一人の人間の思想の核を造るだけの力があるのです。

創造と鑑賞のリング

ところで、人間はどのように言葉を獲得してきたのでしょう。「ママよ、ママでちゅよ」などという大人がいるから、真似して「ママ」といってみたら、「ママといってくれた」と抱きしめてくれた。それであれはママというものなんだなと認識する、私たちはそのようにして、ものは言葉で表される、言葉の背後にはものがある、ということを学ぶのです。そのようにサンプルがあって、サンプルをコピーすることによって、より高いレベルに到達するのです。そうやって人間は成長してきました。サンプルとしていい芝居を観る、それが表現意欲に火をつけて、表現活動がはじまるということです。鑑賞が創造を生み、創造することで鑑賞者としても成長する-そういう鑑賞と創造のリングが成立しやすいところとして、学校はあるといえましょう。

「総合的な学習の時間」が行われるようになったとき、このようなことを実現する場として総合授業をとらえる、そういう実践が行われることを、かなりの人が期待しましたが、そしてそういうことを実現できた地域、学校もありますが、大勢としては総合授業は英語とパソコンに使われ、学力重視・ゆとり教育見直しの波に呑み込まれようとしています。せめて鑑賞教室だけでも総合授業の枠で残そうと努力した教師たちもありましたが、少数にとどまっています。

表現は個に属するものですから、点数にはなじみません。たった一つの答えしかないということはありえないのが表現です。「みんなちがってみんないい」のです。学校の中ではじめて点数のつかない教室が成立することの意義は大きいはずです。にもかかわらず、それだけに、抵抗する教師も少なくありません。点数で評価することが教育だという固定観念から抜けられないのです。
  点数で評価できないものは教育とは思えないのです。

ゆとり教育見直し、学力重視の風潮の中で、演劇鑑賞教室の火を消すまいとしている教師たちは苦戦しています。そうでなくても少子化の波は、劇団経済をとことんまで追い詰めています。劇団と教師が手を結んで、今こそ、日本が語る演劇鑑賞教室を存続させるべく、学校教育の枠組みの中で演劇を見ることの意味を、捉えなおすときが来ているのではないでしょうか。

(ふじたあさや)
(児童・青少年演劇ジャーナル「げき6」より抜粋)