永遠に!元気に!頑張れ!うりんこ 私は三番目の子どもが生まれた日に名古屋に引っ越してきました。つまり住む家探しも、引っ越しも一人でしました。住んだところは、名東区。 何故名東区にしたかというと、私の同級生が名東区に住んでいてよく遊びに来ていたので、なじみがあったことと、もう一つ大きな理由がありました。 「名東区には名東保育園という良い保育園があるから、住むなら名東区が良いよ。」という助言があったからです。この助言をしてくれたのは、妻の同級生で元劇団うりんこの劇団員でした。ですから『うりんこ』の名前は知っていました。実際にみたのは保育園でです。名東保育園は父母会が活発で、父母会で年に1回劇団を呼び、子どもたちに生の文化を見せています。保育園で初めてみたうりんこの劇は、とても楽しく新鮮でした。何より、終わった後劇団員と懇談会。この時のトークが、とても楽しかったことを覚えています。 (愛知ほいくのうんどう 2008年5月15日付より |
地域に劇団がある 地域に劇団がある、ということは、なかなかすてきなことだと思うのです。と、東京モノの僕が言うと、「だって、東京にはいっぱい劇団があるじゃない……」と言われてしまいそうですね。 (晩成書房代表/水野久) |
うりんこの支援協力を 1973年に「劇団うりんこ」が創立してから、34年。この猪子石の地に「うりんこ」が居を構えて、21年。もう、そんなになるのかと、驚かされる。いったい、何人の子どもや大人、近くにお住まいの方々が訪れたのだろう、このちいさな「劇場」に。いったい、どれだけの人が感動と、生きる希望の灯をこころにともして、このちいさな「劇場」を去って行っただろう。 (淑徳高校教諭/高橋よしの) |
こんな時代だからこそ! 私が劇団うりんこの作品をはじめて観だのは1984年の『プッダ』。私たちの劇場が、はじめての高学年例会として取り組んだ作品でした。「生と死」という強烈なテーマを目の前でダイすミックに見せられ、あらためてそのメッセージとパワーに衝撃を受けました。あれから20数年、たくさんのうりんこ作品と出会い、そして楽しんできました。常に時代をとらえて、そして時代を先取りするテーマをもった作品‥・それがうりんこの魅力だと思いますし、これからもそういった作品をつくり続けて欲しいと思います。 (多治見おやこ劇場 今井民子) |
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昨年8月のカンパ活動以来、のべ281人を超える、個人、団体様からご支援をいただきました。この中には、公演先で子どもたちがカンパ箱をつくり、一人一人10円玉を握りしめて入れてくれた子や、商工会議所での劇団員の訴えに心を動かされその場で寄付して下さった方、教師やおやこ劇場、子ども劇場の皆様等、本当に数え切れない人たちの気持ちが詰まっています。 劇団うりんこ |
「ダイアル ア ゴースト」何年ぶりかで娘(中学生)を連れてうりんこ劇場へ行きました。劇の展開にワクワクドキドキ、笑ってウルウルして、ちょっとお疲れ気味の心のリフレッシュができました。 |
いつもありがとうございます。「うりんこひろば」が届くと、本当に隅から隅まで読ませていただいています。季節の流れとともに、うりんこの様子や、活動状況、団員さんたちの素顔などに、ふれることができるし、「今月はどんな企画があるのかな?」とワクワクして催し物の案内を見ています。 |
季節は秋、文化のシーズン、うりんこの皆様には各地での公演で忙しいときですね。私がうりんこと出会ったのは二男が2才(今、22才、吉本の芸人)、生涯学習センターで「はらぺこプンタ」を観たのが、始まりでした。それ以来、母親がすっかり「うりんこ」さんにはまり、家の近く、ラッキー!ということで、家族で何回も通いました。 |
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これからも、ずーと子どもたちにやさしい心と夢と勇気を与えて下さい!おとなにも・・・・。 |
なかなか大変な時代です。だからこそ、「うりんこ」の皆さんの使命は大きいと思います。心から応援しています。 |
ほんのわずかでお恥ずかしい限りですが。1月にお送りした分に追加です。応援の気持ちだけ、受け取っていただければ、と思います。 |
心のオアシスといった場です。がんばって下さい。 |
昨年8月の活動以来、のべ281人を超える、個人、団体様からご支援をいただきました。この中には、公演先で子どもたちがカンパ箱をつくり、一人一人10円玉を握りしめて入れてくれた子や、商工会議所での劇団員の訴えに心を動かされその場で寄付して下さった方、教師やおやこ劇場、子ども劇場の皆様等、本当に数え切れない人たちの気持ちが詰まっています。これまでの経過と今後の報告も改めてさせていただきます。本当にありがとうございます。