劇団うりんこ創立30周年記念作品 「白水社刊」より
シェイクスピアを盗め!
ものがたり
孤児院で惨めな生活をおくっていたウィッジは、7才の時につめたい主人ブライト博士にひきとられ、速記術を仕込まれます。
そして、14才の時に謎の男に買い取られ、シェイクスピアの新作芝居「ハムレット」を盗むためにグローブ座へ送り込まれました。
速記術を使ってやっとの思いで書きとめたメモ帳を盗まれてしまい、何とかもう一度芝居を盗もうと劇団に潜り込んだウィッジを役者達は暖かく迎え入れてくれました。
一方謎の男は任務を果たすように脅します。役者達への感謝の思いと、任務の間でウィッジの心は揺れ動きます。
幼い頃から孤独でつらい生活をしてきたウィッジは劇団生活の中で友情・信頼・家族という言葉を心から理解できるようになっていくのでした。
失敗してもへこたれずに町の生活に馴染んでいきながらウィッジは自分にとって何が大切なのかということに目覚めていくのでした。
原作/ゲアリー・ブラックウッド
訳/安達 まみ
脚本・演出/山崎 清介
美術/岡本 謙治
照明/御原 祥子(平 博章・横井 幸代)
音響/豊口 謙次(四方 あさお)
衣装/友好 まり子
殺陣/戸谷 昌弘
舞台監督/原田 邦英
演出助手/下出 祐子
「しのぶの演劇レビュー」山崎清介氏演出うりんこ公演「シェイクスピアを盗め!」
「シェイクスピアを盗め!」の魅力(訳/安達まみ)
本作品の原作はG.ブラックウッドの小説です。それが、演出家山崎清介氏により、わくわくする芝居に生まれ変わりました。原作の持ち味であるスピーディな展開がさらに加速され、ファンタジーの味付けもまぶされて見ごたえのある作品になっています。
作品の魅力のひとつは、14歳の少年ウィッジの成長をたどっていることでしょう。はじめウィッジには自分にとってなにが一番大切なのか、自分はなにがやりたいのかなどと考える余裕がありませんでした。ところが、新作芝居『ハムレット』を速記術で書きとって盗むという仕事をいいつけられ、それをはたそうと奮闘するうちに、少しずつ変わっていきます。俳優志望のふりをしてもぐりこんだ劇団で家族のように温かく迎えられ、みんなで心をあわせて芝居の稽古に励むうちに、自分の「仕事」に疑問をもちはじめます。
ウィッジは英雄的な人物ではありません。愛されずに育った、ちょっぴり情けなくて、都会に慣れていない田舎出の少年です。17世紀イギリスの徒弟という設定は、一見現代の私たちとかけ離れていますが、ウィッジが友情の大切さにめざめ、演技の才能を認められ、懸命に生き、成長していく姿に、私たちは共感をおぼえ、感動します。
作品のもう一つの魅力は、劇場や劇団のようすをリアルに描き出していることでしょう。物語は今から400年前、1601年頃のイギリスを舞台にしています。当時は首都ロンドンに人口が集中し、手軽な娯楽を求める人々のニーズにこたえて演劇が一躍人気を集め、多くの劇作家が活躍しました。著作権がなかった当時、シェイクスピアの『ハムレット』のような優れた台本はたくさんのお客を呼べるため、劇団の財産として厳重に管理されました。いろいろな手口を使って劇団の許可無く新作芝居を出版する人もいたことは事実で、この作品にあるように芝居を盗むときに速記術を使った可能性も否定できません。ちなみに『ハムレット』がいかに人の心をゆるがす、ふしぎな力にみちた作品化は、ウィッジが芝居の世界に迷い込む場面に再現され、迫力たっぷりです。
この作品には実在の人物が何人も登場します。シェイクスピアはもちろん、喜劇役者アーミン、劇団のまとめやくヘミングス、看板役者バーベッジは、みんな実在の人物です。ウィッジやジュリアンが実在したかどうかはわかりませんが、少年俳優が女役を演じたことも本当です。シェイクスピアは本当にハムネットとジュディスという双子の父親で、幼いハムネットを亡くしました。舞台の脇でシェイクスピアが執筆し、夢とうつつの間で亡くなった息子ハムネットから霊感を与えられるというのは原作にないあらたな趣向です。
『シェイクスピアを盗め!』を観てウィッジとともに芝居の世界に入りこんでみませんか?芝居はこの世を映す鏡であると、シェイクスピアはいっています。映し出された自分の姿にあっと驚く、というような意外な発見がみなさんを待っているかもしれません。
「まだ電気というものが存在していなかった頃」(脚本・演出/山崎清介)
2003年3月、「シェイクスピアを盗め!」はうりんこ創立30周年記念公演として、劇団の本拠地であるうりんこ劇場にて幕を開けました。主人公ウィッジと、400年前に本当に存在した宮内大臣一座の役者たちとの物語。ウィリアム・シェイクスピアはこの劇団に座つき作家として所属し、ときには役者として舞台に立つこともあり、この劇団で37作品を書き上げ上演したのでした。時は1600年当時36歳であったシェイクスピアは『ハムレット』を書き上げ宮内大臣一座は上演にこぎつけます。
日本の時代で言えば、徳川時代が始まる頃、当然電気というものが存在しない時代です。この頃、芝居は陽が高いうちにおこなわれ、屋根がない劇場には照明の変わりに太陽の明かりが舞台を照らし、その中で役者たちはシェイクスピアの膨大な台詞を喋りまくっていたのです。テレビやラジオ、ましてやレコード・CDもない時代に民衆にとっての娯楽の中で舞台という存在がどれだけ大きなものであったか、今の時代には計り知れません。
その『ハムレット』を速記術という武器で盗もうとするウィッジ。今日では録音・録画は当たり前のことのように家庭の中まで浸透しています。形あるものを正確に素早く録る作業を人間は必要として文明が進化していったことを思うと、ウィッジの習得した技術は現代技術の原型といっていいのかも知れません。孤児として育てられたウィッジが劇団という集団の中で、何が良くて何が悪いかを自問自答しながら盗むという行為を自らの考えで自分に問い始めます。盗まれる側の痛みを、人間としてどうウィッジは感じていくのか……。
「シェイクスピアを盗め!」が学校公演として新たに生まれ変わるとき、限られた空間と技術の中で、観せていくことに長けた劇団うりんこの本領発揮の時が来たと僕は確信し、新たな気持ちでこの作品を劇団うりんこと共に創っていきます。
小説の劇化による逸品 浦崎浩實 (テアトロ03年5月号「劇評」より)
山崎清介=演出、劇団うりんこ公演『シェイクスピアを盗め!』に感激した。ゲアリーブラックウッド原作、安達まみ=翻訳、田中浩司=脚本、と表記されており、この「脚本」を私はてっきり日本公演の実情に合わせた潤色の謂いかと思ったのだ。が原作(白水社01年刊)を見ると、これが、まったくの小説なのである。
私などが強調するのも失礼ながら、小説の劇化は世間で思っているより難事業ではないだろうか。先日も小説が原作の芝居を観たが、これが説明に次ぐ説明台詞ばかりで観客は苦痛を強いられ、「役」を生きられない役者諸氏に同情を禁じ得なかった。
つまり小説は平坦な台詞でも成立するが、劇の台詞は常に能動的でないと観客の興味をつなげないし、また、劇はさまざまな時間軸が一つの空間で把握されなければ限りなくダレた芝居になる。小説の劇化は往々にして原作の非演劇的要素をも継承してしまうものだが、『シェイクスピアを盗め!』は、これが元々芝居として構想されていたのではないかと錯覚させるほど、劇的緊張が持続しているのだった。
孤児院育ちのウィッジ少年(はまだきよ)は牧師で神学者のブライト博士(和田紀彦)に引き取られ、虐げられながらも、14歳の今では博士が考案した速記術をすっかり体得。その才能を見込んだ謎の男が、ウィッジを高額で博士から買い取りロンドンに連行、グローブ座で上演中の『ハムレット』の台詞を全部書き取って来いとウィッジに奇妙な仕事を課す。彼は劇場内でスリと疑われるものの、役者志望だと言うと座員にされてしまい、やがては自分に課せられていた台詞の速記が実は泥棒行為だと悟る。謎の男はかつてシェイクスピアの一座にいた役者で、シェイクスピアたちが2週間後に控えている女王陛下のための上演作品、決定版『ハムレット』を先取りしようと企んでいたのであった。
一座にはしめじ組(キノコ未満、半人前の役者の意味らしい)の少年たちが多数いて、彼らが時に芝居全体のコロスを担い、状況説明やウィッジの心境を代弁。シェイクスピア(下出祐子)は上手で終始小机に向かい、グローブ座の建物のミニチュアを頭上にかぶって(つまり地球を冠し)執筆しているか夢想している。彼の幼くして死んだハムネット(長田光世)が亡霊となって現れて、父親に執筆の霊感を与えたりする。
「コロス」がシェイクスピアの四百年後に及ぶ人気を予言すると、シェイクスピアは「今のは空耳?」とおどけたり、「彼」を女優が演じることで時の絶対権力者エリザベス女王とも重ね合わせ、その一方で女性が舞台に立てないというジェンダー問題にも踏み込んでいるのである。
『シェイクスピアを盗め!』は一応児童劇だが、すぐれた作品がそうであるように、大人の鑑賞にも十分に耐えるだろう。ウィッジの孤児の孤独にもう少し言及されていたなら、彼の生きる力強さがなお引き立っただろうという不満もあるけれど、原作の続編『シェイクスピアを代筆せよ!』もあることだしその舞台化のおりに不満の解消を託すことにしよう。